ノンケに恋をした
ノンケに恋をしちゃいけないということはわかっていました。
でも、仕方がなかったんです。だって、恋はするものではなくて、落ちるものなんですから。
そんなぼくの切ない片想いの話を聞いてください。
同級生との出会い
それは大学時代の話です。ぼくは同級生の男の子と知り合いました。
彼は身長が180センチもあり、サーフィンをしているので年中日に焼けていました。さらに顔も小さくて、スタイルも抜群。女子にもモテモテで、さらに性格も優しかったのです。
ぼくはもう、その頃には自分がゲイであることを自覚していましたので、その彼を一目見た時から胸がときめいていました。
同じクラスだったし、大学1、2年の時は一般教養だったので、ほとんど毎日のように顔を合わせていました。
初めてそんな彼と話した時のことは今でも忘れることができません。
大学一年の最初の試験期間中でした。試験勉強をしようと学食に行ったら、彼が友だちと一緒に食事をしていたのです。ぼくは彼のことが良く見える席に座り、コーヒーを飲みながら、勉強を始めました。でも、彼のことがどうしても気になって、勉強が手につかなかったんです。ちらちらと彼にばれないように気を付けながら、テキストとノートを眺めていました。
そんな時、彼の友だちが席を立ち、彼がひとりで席に座っていたのです。ふと顔を上げると、彼と目が合い、思わずぼくは会釈をしてしまいました。彼もぼくが同じクラスメイトだと知っていたのでしょう。同じように会釈を返してくれたのです。もうそれだけでぼくの心臓はばくばくと激しく動くのを感じました。
一重の涼し気な目、すっと通った鼻筋、サラサラの髪の毛はちょっと茶色く色が抜けていて、いかにもサーファーっぽい風情でした。(彼がサーフィンをやっていることは、風の噂で聞いていました。)
お互い顔は知っていたし、ぼくは彼の名前も知っていましたが、彼がぼくの名前を知っているとは思わなかったので、その時は会釈をするだけで精一杯でした。
そうしたら、彼が友だちと学食を出る時に声をかけてくれたのです。
「Tくん、だよね?」
「あ、うん。そうだけど」
「今度、商学概論のノート見せてもらえる?この前授業サボっちゃったから」
「あ、いいよ。じゃ、次の授業の時にコピーしていけばいい?」
「すまない!よろしく!」
彼は本当にすまなそうに手を合わせてから友だちと去っていきました。
ぼくはたったそれだけのことなのに、すごく嬉しかったんです。
だって、彼はぼくの名前をちゃんと覚えていたんですから。
そして、その翌週、ぼくは彼のためにノートのコピーを渡しました。
念のため、その時のノートだけではなくそれ以前の授業のノートもすべてコピーして渡しました。
そうしたら、彼は本当にすまなさそうにしながらも喜んでくれたのです。
そして、お礼に学食でランチをごちそうになり、それからぼくたちはすっかり仲良くなりました。
親しくなるにつれて彼が湘南に住んでいること、たまにモデルの仕事をしていることを知ったのです。彼は学内で一番の美少女と噂の女の子と付き合っているという噂も本当でした。
それを知って、ぼくは少し落ち込んだのですが、こればかりはどうしようもないので、普通に友だちとして、彼と付き合うことを決めました。
ぼくは写真部に所属していたのですが、ある時、彼に被写体になってもらいたいと思ったのです。部内の小さなコンクールに出すのに、彼を被写体にしたら、きっと良い作品が撮れるに違いないと思ったから。
しかし、モデルの仕事もしている彼に、そんなお願いをしても良いのか、正直ちょっと躊躇したのですが、恐る恐る頼んでみたら、あっさり「いいよ」と言ってくれました。「いつもノートを貸してもらっているし」という理由で。
この時、真面目に授業を受けておいて良かったと思いました。(笑)
ファイダー越しの彼
撮影をするのに、選んだ場所は、彼が良く行く地元の鵠沼海岸でした。授業が早く終わった日に、一緒に彼の家に行き、彼が準備するのを待ってから、海岸に行きました。
その日はまだ梅雨が明けるか明けないかの頃でしたので、海岸にはそれほど人は出ていませんでした。そんな中、ウェットスーツを着た彼は何度も波に乗っていました。
パドリングをして、沖合の方まで行き、ころあいを見計らって、波に乗るということを繰り返していました。鵠沼海岸はサーファーのメッカでもあり、何人ものサーファーが彼と同じ世に波乗りに興じていました。でも、ぼくはそんな中からすぐに彼の姿を見つけ出すことができました。そして、何枚もの写真を撮らせてもらったのです。
それまで、動いている人物を撮る機会はそんなに多くなかったので、なかなか良いショットを撮ることができず、大変でしたが、それでも、必死になってファイダー越しの彼を追い続けました。
当時はまだ今のようにデジタルカメラなんかなかったので、現像するまではどういう写真に仕上がっているのかわかりません。ですから、とにかくフィルムをたくさん用意して、撮れるだけ撮ったのです。
彼がひとしきり、波乗りを終え、一休みをするために浜辺に戻り、ウェットスーツの上半身を肌けている姿を見せた時、ぼくの鼓動は速くなりました。そして、少しだけぼくの股間も硬くなったのでした。だって、その姿があまりにもセクシーだったから。
無駄のない筋肉質の肉体は日に焼けており、大胸筋も盛り上がり、腹筋もしっかりと割れていました。思わず触りたい衝動に駆られながらも、ぼくはその衝動をシャッターを押すことで隠していました。
彼は当然のことながら、ぼくの気持ちなどまったく気づかない様子で、何度も波乗りに挑戦しました。時々砂浜にいるぼくのところに戻ってきては「湘南の海は他の海と比べると波の質があまり良くないから、ちょっと物足りないんだよね」と愚痴っていましたが、それでも波乗りが大好きだということは伝わってきました。
その時、ぼくは36枚撮りのリバーサルフィルム4本分を持って行き、合計で約150枚の写真を撮りました。本当はまだまだ撮りたかったのですが、だいぶ陽も傾いてきたので、とりあえず、フィルム4本分の写真を撮り終えて、その日の撮影を終わらせました。
ちなみに、その時に撮った写真で、ぼくはその年の写真部内でのコンペティションでグランプリを受賞し、彼はその時の写真をしばらくの間、宣材写真として使ってくれたのも、良い思い出となりました。
一人暮らしの彼の部屋で
撮影を終え、ぼくは都内に住んでいたので、そのまま電車で帰ろうと思ったのですが、彼が車で藤沢の駅まで送ってくれることになりました。
ふたたび彼の家に戻り、彼がシャワーを浴びている間、ぼくは彼の一人暮らしの部屋の中で悶々としていました。シャワーの音を聞きながら、海辺で見た、彼のはだけた美しい肉体を妄想していたのです。何か口実をみつけて、浴室のドアを開けたい衝動に駆られながらも、ぼくにはその時そこまでする勇気はありませんでした。
もしそんなことをしてしまったら、彼に嫌われてしまうと思ったからです。
シャワーを浴びた後、タオルを腰に巻いただけの姿で部屋に入ってきました。ぼくはそんな彼に対してどうやって接したら良いのかわからず、困りました。
変に顔をそらすのも不自然だし、かといって、まじまじと彼のその美しい肉体を見るわけにもいかないし。だから、ぼくは自然を装って、何となく部屋全体を見渡すふりをして、彼の方を見るともなしに見ていました。
彼はぼくが男であるから安心しているのか、ばさっとタオルを取り、体を無造作にふきはじめました。手を伸ばせば届くところに彼の股間があるので、ぼくの緊張はマックスになっていました。冷房が効いているはずなのに、ぼくは自分の肌が汗ばんでいることを感じました。
彼はそんなことは気づきもしない様子で、鼻歌を歌いながら服を着て、でかける準備をしました。
彼の車に乗り込んだ頃にはすっかり日は暮れていました。ぼくは車には疎いのですが、若い子たちの間ではチャラい男が乗る車として知られている車のようで、その車はそんな彼にぴったりだと思いました。
ぼくはてっきり藤沢まで送ってくれるものだと思っていたのですが、いつの間にか車は高速道路を走っていました。
「あれ?藤沢まででいいよ。もう遅いし」
と言ったら、彼は笑いながら
「いいよ、せっかくだから都内まで送って行ってあげる。暇だし。家どこだっけ?」
「西荻窪だけど…」
「オーケー。お腹空いたから、どこかで何か食べてから向かおうか」
そんなことを言う彼にぼくはもうすっかり恋をしていました。彼がノンケであること、彼女がいることを知っていても、恋に落ちるのは不可抗力だとその時思ったのです。
途中のハンバーガー屋で、ぼくたちは軽い食事をしたのですが、(もちろん、写真の被写体になってくれたお礼にぼくがごちそうしたのですが)その時ぼくはまったく食欲がなくて、飲み物だけしか飲めませんでした。そんなぼくのことを「大丈夫?」と気遣ってくれる彼に「君のせいだよ」なんて言えるわけもありません。
ぼくは「ちょっと熱中症みたい」とごまかしたんですけどね。
都内のぼくの家まで約1時間のドライブでしたが、ぼくには特別な時間になりました。
家の近くで車を停めている時、彼の携帯が鳴り、彼がその後彼女とデートをすることがわかりました。ぼくを家まで送ってくれると言ったのは、彼女とデートをするついでだったからなのです。ちょっとだけ寂しい気持ちにもなりましたが、良く考えたら、そのデートがなかったら、都内まで送ってくれることもなかったので、彼女には感謝しなくちゃ、と心の中で思いなおし、ぼくは彼と別れたのでした。
もしもあの時
そんな彼が一度だけぼくに家に泊まったことがあります。
実は一時期、ぼくたちはコンサートの設営をしたり、コンサート中の誘導をしたりするようなアルバイトをしていたのですが、二日間連続でとあるアイドルのコンサートのアルバイトをした時に、湘南の家に帰るのが億劫がっていた彼をぼくの家に泊めたのです。
ぼくは自分のベッドに彼を寝かせて、自分はソファで寝たのですが、一晩中、彼のことが気になってほとんど眠れませんでした。
あの時、勇気を出して襲えば、ひょっとしたら彼は応じてくれたかもしれないと今でも少し後悔しているのですが、でも、やはりそのことで二人の関係が崩れてしまうのが怖かったんです。
今から思えば、どうせ相手はノンケなんだから、その後の二人のことなんか考えずに押し倒してしまえば良かったのに…と思ったりもするんですけど、その時のぼくはそんな勇気はありませんでした。
ぼくたちの友情は大学を卒業するまで続きました。
その後、彼はその時付き合っていた彼女と結婚し、今では2児の父親だということをSNSを通して知りました。
今でも、あの時押し倒していたら、どんな関係になっていたんだろう。と妄想することもありますが、これはこれで良かったのかなと思っています。